天気が悪い

帰ってくるときはやや降っていたくらいだったのが、しばらくするとドザンと降ってきた。
出窓があるので、出窓の屋根部分に当たる雨音で、だいたいの雨量が分かる。ボタボタという音が強いと相当だ。
一方で、斜めから降る雨もある、その場合は窓ガラスに当たる音の大きさで分かる。いや、カーテン開ければ分かるんだけどね。

見て分かることと、その他の感覚で分かることがある。見るという行為は、人間の要なんだけど、視覚ってもんが発達して、よりよく物を見ることが出来るようになったというのは、人間がここまで発展発達したのに大きく関係があると思う。一方で、視覚というものが逆に弱点になっている、強みというのは弱みでもある。

見るということによって、対象を共有、認証、あるいは強化、肯定する。見るという行為自体が、意味になって、意味というものを投射して、対象に意味を与える、人が見るということが意味が生まれる、人間原理っぽいけど、人間にとって視覚ってのは言語並みの大事な意味を持つことだけど、でも見えることって当たり前すぎるから、見えることとか見ることとかがどういうことなのかって、頭がいい人達が一所懸命に哲学したとは思うけど、一般人たる自分を始め多くの人たちは、それを顧みることなく当たり前としている。当たり前だからこそそこを掘ってみると意外なものがあるんじゃないかと思って、視覚というか、見ることを頭に入れながら小説を書く、描写というものがある、それはあくまでも視覚に頼りっきりにならず、もちろん視覚由来の書き方もある、でも視覚ではない書き方もある、人間が見ているという書き方もあれば、他の動物が見ているという視点、いわゆる神の視点もあれば、神ではない新たな視点もあるかもしれない、視点を中心にするとビデオカメラみたいなものが映し撮っている映像として文章があるような感じもしてくるけど、そうじゃない書き方だってある、でもたいてい視覚に頼った言葉になっているはずだ。

とりとめなく書いた。編集も、校正も添削もしない。
もちろん、オチもない。ダラっと続いていく。考えってのはそういうものじゃあないかなと。