3月一週 ゆめみたいなゆめみたい

3月4日記す

最近考えたこと。

  • 人が未来を予測予想する(それはほとんど自動的にもできる)ことって、見方を変えればただ妄想しているだけでもある。
  • 根拠があると思っているそれも、どの程度の根拠なのか、だいたい100%確実という意味は人間にとってで、でもその程度でいい。
  • 人は妄想をするが、他の動物は妄想をしないだろうか。イルカとかチンパンジーはするかもしれないし、手話を覚えたというココというゴリラは多分妄想できた、彼女は死ぬことはどう思うかと尋ねられて、苦痛のない穴の中にさようならと答えた。ここには比喩があり、人と共通のイメージもある、そしてその穴は現実には存在しない、つまり妄想である。(想像と言い換えても良い、同じことです。)
  • 妄想はイメージだけれど、人間はそのイメージでさえも言語化してしまう。古い記憶ほど言葉になっている。
  • 言葉は秩序であり、規律である。律儀に文法を守ることは品性であってもいいが、仕えてはいけない。
  • わたしたちが普段何に仕えて生きているかを知っておくことは大事なことだ。
  • 言葉を持たなかった時代が想像できない。実際音や文字がなくとも、身振り手振りさえないとは思えない。
  • 単細胞生物でさえ、相手を認識できる能力があれば表現はあり得る。つまりコミュニケーションの由来は他者の存在を知ったことにある。

3月6日水曜日記す

カネ稼ぎの休憩時に食堂のテレビでやっていたドラマをぼんやり見ているような見ていないような、意識から遠ざけたり近づけていたら、画面から結構割と衝撃的なセリフが飛び出した。いやまなんというか、正確にはもう覚えていないんだけどだいたいこんな意味のことだった。
「心の中で永遠に生きる」というなんと使い古された紋切り型の、でも実際口にする機会がない言葉。フィクションの中でしか見ない言葉かもしれない、でもまあこの平成が終わろうとしている2019年によもや耳にすることがあるなんて、しかも最新のドラマの中で、大丈夫か脚本家はと思ってしまった。
普通思うのは、心の中という有限な場所で永遠に生きるとはどういうことなんだろうという疑問ではないか。しかしこれは理路整然とした論理ではなく、もっとぼんやりとしたものからの感覚として思ったが、そういう見方が実は罠なんではなか、しかし一方でやはりこれはただの紋切り型のありふれたフィクションで、作品の面白さを削ぐような、覚めるような言葉ではある、でもよく見てみると、しかしどんな流れでこの言葉が出てきたかはわからないのだけれど、心の中で永遠に生きる、と言った時の心とは一体何を指しているのだろうと考えるのはわりと悪くないのではないか。そして永遠に生きる、普通ありえない、人間はいつか死んでしまう、人間だけでなく生命はいつか滅びる、そのことを知っているにもかかわらず、永遠に生きるなんて言葉を使うのは普通に考えたらお前ナメてるのか? ってなるんじゃないか、その言葉が成立するためにはどのような条件が必要なのだろう、少なくともドラマの中では有効だったらしく、そんなセリフが聞こえてくるわけでもなくうまいこといったらしかったが、心の中で生きるならまだわかる、でも永遠に生きるってそれは流石に言い過ぎではないか、でもかえってその違和感がこうした疑問を生み出したのだとしたらよかったのかもしれない、転んでもただでは起きないという精神である。花粉が強いので、そろそろやめていただきたい。今週は動物園に行こうと思っていたが流石に延期することにしました、4月の暖かくなってからでも十分だろうという判断である。

3月10日日曜日記す

前日から猛烈に体調が悪くなった、まず喉に来た。喉、というか前日というか金曜日だ、理由は何となく分かる、マフラーをマスク代わりにしてたせいじゃないかと睨んでいる、マフラーめ。そして我らがR-1を服用するのを止めていたのだ、やっぱりまだ飲んでないといけない。飲まなくなってから、R-1が最悪を引き起こさないでいてくれたんだなとわかった、なぜならまた飲み始めたら花粉の症状も体調も改善したからだ、んなことあるぅ? 流石に早すぎないかと思うのだが、実際体に変化が起こったので間違いないとまでは思ってないが、わりと信用できるぞとは思っている。喉の痛み、腫れには薬局でうがい薬を買ってきた。ヨウ素というものは非常に殺菌能力があるらしく、しかし人体にもわりと辛く当たってくるらしい、いわゆる赤チンと呼ばれていたヨウ素をアルコールに溶かしたものは人体に影響が強くあるから今はもう殆ど使われていないらしく、ポピドンヨードというヨウ素とポリビニルピロリドンという物質の化合物、たまにドラマとか映画か医療ドキュメントで手術前に消毒したり、患部に塗るようにしているあのヨウ素色というべき特殊な、あれ何色っていうんだろうか、昆布色というのか、昆布を熱した時の色、そりゃそうでヨウ素は海藻に含まれるからまさに多分その色なんだろうそのポピドンヨードという人類が生み出した汎用性殺菌剤の効力が絶大で、日曜朝にはもう喉の痛みはなくなっていたのだった。ということで、ライブに行けたわけです、阿部芙蓉美の。久しぶりという気持ちはまったくない、去年にアチコさんとの二人でやったやつが確か10月にあったのを最後に今年初めてライブに行ったんだけど、花粉症辛そうだったな、それと眠いって言ってた、普通客に眠たいなんていう? そういうところが阿部芙蓉美で、そういうところが好きなんだよね、chillというブルーズっていう最初のアルバムに入ってる曲と群青、これも最初のアルバムに入ってるわりと珍しい曲やってくれてよかったのと、俺の大好きな沈黙の恋人というアルバムからcinemaをやってくれたのでとても良かったし、ときどき鮮明に聞こえてくる歌詞がすごく意味を作り出すときがある、頭の中でいくらでも書けるぜこれって思えてくるくらいの展開、すごい小説が書きたくなる今ココでって、そうなるのが楽しいのですね。4月にはTHE NOVEMBERSの小林祐介と二人でやるそうなので興味ある人はチェック。

下北の駅前で手作り市やってて、そこでナカタマサミさんのかわいいピンバッジが売ってたので買いました。それはTwitterに写真あげておく。

帰りに滝口悠生の死んでない者と村上春樹騎士団長殺しを買って帰宅。ザ・ファブルの17巻も出てたのでこれはKindleで買いました。
コッペパンが美味しそうだったので、買って今日はおしまい。明日も休みでグハハハハなのだ。