3月二週 調子は出ない

3月16日土曜日記す



もうわかっている人はいるかもしれないし、多分そこまで気にする人はいないと思うが、3月の三週ではある。でもまあいいやと思っている。
今週は気が滅入る様なニュースがわりとあったように思う。昨日のNZで起こった銃乱射事件もそのうちだ、ああいうわかりやすい至上主義みたいなものがまだ存在していることに驚くが、しかしどういう思考からああいう考えに至るのだろう。そういうプロセスを考えないといけないんだろう、ああいう考えはいけませんで済ましていたらまた起こるに違いない。
それからコカインのお話。なんか別に言いたいことがあるわけでもなく、でもわだかまっていることもある、誰かと話し合いができればいいんだろうけども、それが難しいので書いてしまおうという、言葉にすることは秩序立てる事で、人間には秩序と混沌がバランスよく必要だと思っているので、今は秩序立てたいという方向を体が欲しているのだろうという理解をしたが、ほんとうかどうかはわからない。勘である。
一番嫌だなと思うのは、各所が右向け右で同じことをしたというところだ。あらゆる判断の大抵は感情でなされるけれど、彼らの判断がほんとうに勘定によって、思考されたようなもののように感じないのは、ああいつものねという気持ちがあるからだろうけれど、彼らはクレームというリスクが怖いのだろう、でもこういうことになると一斉に撤去し、彼らへかかっていたハシゴを一斉に外し、なかったことにしようとするその動きは、あからさまに人の姿が見えないからそこが恐ろしい、集団の主体のないぼんやりとした意思決定のように見える、見ることができないようすることで、目に触れられないようにすることで一体誰が得をするのだろう、幸せに誰がなるのだろう、幸せになる人より不幸になる人のが多いんじゃないか、それでも不幸になろうとするのは何故だろう。犯罪を犯したその人が悪いのだというのはたしかにそうだ、でも撤去や上映中止や公開中止は犯罪者の決定ではない(そもそもまだ犯罪者ではない)、いままでさんざん彼らで儲けてきたんじゃないのか? 世話になり、世話をしたんじゃないのか? それなのにあっさりとハシゴを外すんだな、冷たいなあという感情である。イカリング食べて洗濯を干して寝ます。