繋がっている

 まず何から書いていいかわからないから、自分の頭の中で考えたとおりに書こうと思う。

 まず最初に考えたのは、GRAPEVINEのことだった。知らない人がいるかも知れないから書いておくが、GRAPEVINEはバンドの名前だ。んで、彼らのライブはつい先月末に見たから、もう半月前ってことになる、まあそのライブのことではなくて、彼らの曲は最近どのようになっているか、みたいなことから考え出して、自分が彼らの楽曲で何が好きかというと、放浪フリークという曲だと思っているし、つい先日そういうことを言ったのだが、と思い出し、その曲のサビ部分を思い出したら、歌詞が引っかかった。
GRAPEVINE - 放浪フリーク - YouTube

URLから飛んでほしいんだが、最後の大サビっていうのか、専門用語は知らないけれど、歌詞はこうだ。

目の前のせいにして
ただ過ごしてきた日々で
はずみでそれは
歌になってしまう
それは風になってしまう

 歌になることと風になることが併記されている。この場合、意味としてはそれぞれが対比になっている場合があると最初考えた。歌になるっていうことは形として残ることだ。例えばCDもそうだし、映像、DVDやBlue-rayが演奏を捉える、一方で風になるとはつまり一回生、吹いたら吹いたでおしまい、形はないし残らないということだな。と考えたのだけれど、一方で元々音楽も風のように一回生だったじゃないか、と思い直した。どっちが正しいということではない、どっちのほうが自分にとって響くかということ。歌も風も一回きり、という方がしっくりきたのだ。
 そこで思い出したのが、デレク・ベイリーだ。この人を盛んに引き合いに出すのが保坂和志インプロビゼーションの大家だけど(個人的な認識)、即興の音楽は楽譜もなければ、決まったフレーズすらない、ただ音がなる、その音は一回きりの組み合わせで流れていく、という発想から更に、ミシェル・レリスの幻のアフリカという、アフリカの紀行記のなかに出てきたグリグリ売りの話を思い出した、これも保坂和志経由だ。しかしこの話はかなりうろ覚えで、本当にグリグリ売りの話だったか定かではないとは書いておく。
 レリスはアフリカの文化としていろいろなものを記録していたけれど、ある町だか道端だったか忘れたけれど、呪術師(言いにくいやつ)つまりシャーマンがグリグリなるものを売っていた、と書きながらこれはグリグリ売りじゃないなと思い始めたので書き方を変える、シャーマンなのは間違いない、彼が行う儀式を記録しようとしたかなんかそういうきっかけで、そのシャーマンが唱える呪文を記録しようと何回も聞きなおすんだけど、そのたびに違ったことを言うというエピソードがあって、そこで呪文って別に毎回違ってもいいんだなと思い、そういえば呪文と言えば毎回同じなのが一般的というか、「テクマクマヤコン」も「エロイムエッサイム」も「南無妙法蓮華経」も毎回同じことを繰り返すけれど、毎回違う、という連想が、歌と風、即興音楽から、儀式の呪文と繋がっていくこの感じが面白かったということを記録しておきたかったのだった。

 オチ? 結論? ありませんよそんなもの。ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。
幻のアフリカ (平凡社ライブラリー)    d e racin e