お休みの日

休みの日を迎えると、とたんに長く起きていたい。
いやいつもだって起きていたい、眠っている時間は極力減らしたい、やりたいことが多いのか、やることをきちんと効率良く出来ていないだけなのか、多分後者だ。
しかし、それを反省しようとは思ってないし、しない、反省はしない。反省したら、その時に持っていた勢いや気持ちがスッと冷めてしまう。大事なのは、行為は改めるが気持ちを続きにしておくことだ。気持ちはずーっと、寝ても覚めても連続している、と思いこんでいるからそれでいい、連続している、そして逐一変化している、大きく変わることもあれば、小さく細かく変わっていくそれを、ずっと続いていることとしておくこと。眠りたくないのも、続けておきたいからか。いやこれはこじつけだろう。というか、そことくっつけていいかはわからない、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

やりたいことは多い、日々やることも多い、いややりたいことよりも、やらねばならぬことが多いのだ。
多分本当は、やらねばならぬことなんて少ない。生きればしがらみがある、身体にまとわりついていると思い込んでいるだけなのだ。が、その思い込みに全員が催眠術のように引っかかるから、やらないといけない、となっている、ルールとして、本当にそんなルールなんてないが、あるとしてしまっているのが社会だ。それがいけないわけではない、仕組みなのだ。