相変わらず続かない

日記を書けばと言われてもやっぱり書けないのはもうそういう性質なのだろう。
というか、今日でもこの間でも起こったことややったことを、再び、思い出しつつ文字で再現するということが、とにかくキッツい。見ていた映画を見終わった直後にまた見始めるという感じがする。
まどろっこしい、行っている最中に文字になっていてほしい、そんなの日記じゃないけどさ。

ブログを書くのだって続かない。特に書くことがないというのがそれだけどさ、それにキーボードの調子も悪い、パソコンの調子も悪い、十年使えばそりゃそうだわな、今年買い換えようと思っている、買い換えようとか言ってると壊れるから、こうやって書いているのも実際書かないほうが良いかもしれない、マーフィーの法則というやつか、まあでも書いてしまったから、ここ数ヶ月の間が見ものである。

映画のことを書こう。ミスターガラスを見に行った。シャマラン監督作品で、先行するアンブレイカブル、スプリットの続きの作品で、前二作は見ておかないとわからないことが満載だった。
わかりやすい、と言ってしまえばわかりやすいし、他になにか見逃してないだろうかと思えば、何か見逃したかもしれないと思う、わたしたちは何者かという話だけど、また可能性を閉ざすか開放するかという話でもあり、ドラマシリーズSPECを僕は思い出したが、それよりもシンプルだし、風呂敷も大きすぎず、着地もわりとスマートという、うまいこと収束させた作品であると思った。

でもこの収束というのが厄介なものだ。作品としては話が収束してもらわないと困ることがある、続編があるならまだいい、今作でオシマイならちゃんとオチをつけないと、見ている人たちが口々に「オチが~」と言い始めるだろう、ほんとうにそれでいいのかと思ってしまった。キレイなオシマイを迎えて、作品として「終わらせた」わけだけど、僕としては拡散してほしい気持ちが強い。舞台でも、映画でも、小説でも、作品として収束するよりも拡散するような作品が好きってのもある。わかりやすい流れ、オチ、それによって作品が「作品」としてパッケージされる、見栄えは良い、でも作品の保つ力は弱まると思ってしまう。
今作はある意味では拡散していくことになったとは思う、でももっと拡散してほしかったし、あまりにもきれいに終わらせてしまった、そこに物足りなさを感じた、でもまあ万人向けならこのくらいが良いのかもしれない、だいたい拡散してるのが好きってのは俺の感覚なのだからね。

あとどーでもいいけど、スプリットにも出てたアニャ・テイラー=ジョイが素敵だったので良かったです。カワイイんだわ。