すきなものって

 あまり仲の良くない人と、もしくは初対面でもいいけど、関係の浅い人と話すときも、そうじゃなくても相手が何を好きで何が嫌いでってのはわりと気になるものかもしれないと思っているが、どうだろうか。

 その都度僕は困惑するというか、悩むというか、なんというか。「~で好きなものって何」とか「得意な~って」とか、そういう質問にどう答えていいかわからない。わからないというか、そういう質問がこの世にあるのはわかるし、聞きたい気持ちもわかるし、そういう言い方になるのもわかる。でも、決めてません、なんて答えようものなら、相手はたいてい困惑する、というかもっと直接的に困るはずで、なぜならその好きを足がかりにして会話を盛り上げよう、膨らませようという意図があったはずなのだ。だから困る。何が好きなのかってのは傾向はあれど、その都度違っていると思っているような人間なので、毎回困る。好きな食べ物はなんてのはお決まりのものだが、んなもんわからない。みんなわかるのだろうか。嫌いなもの、食べないようにしているものならわかる。でも好きな食べ物ってのはあまりにも漠然とした言い方ではないだろうか。あえて僕はここで質問自体を攻撃してやろう。いうなら例えば「好きな肉料理は」とか「好きな中華料理は」とかそういうある程度絞った言い方にしていただければ、ハンバーグとか青椒肉絲って答えられるのだが。じゃあそう答えればいいじゃないかというけれど、質問ってのは一種の強制であり、極端な言い方をすれば暴力、英語で言うところのforceになりうるようなもので、だからたいてい質問されれば「答えなくては」などという心理にはまり込むわけで、そうなると漠然とした言い方では答えにくい、え、料理? うーん。となる。料理と考えるんじゃなくて、和食とか外食でよく行くところはとかそういうように質問を自分なりに分解、改変することができればいいのだが、逆に言えばしかしそれでいいのか、相手は本当にそれを望んでいてそういう答えが返ってくることを想定しているのか、などとも考えてしまう部分はある、ようにも思うがそれはあまりに弱いから無視できる、のだろうか。なんにせよある程度決めておかないと答えられない、答えにくいという状態になってしまうのは僕だけだろうか、ということが言いたかったのだ。でも決めておくってのは大事なことで、自然とそういう心の状態になると思っていた自分にとっては、自分で決めて自分で選んでということを自発的にしないといけないというのは目からウロコというか、子供のときに教えてくれよぉって思ったのだった、だって進路のときさ、すげー困ったもん。